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ヨーロッパ周遊8日間
晴天の成田空港からシベリア上空を通り、太陽が隠れ暁現象が見える北極圏上空を通過して、夕刻に雪景色のフランクフルト空港に到着。
バスでホテルへ。明日から5時半起床のヨーロッパ5ヵ国周遊の強行スケジュールの観光です。 |
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成田空港JAL直行便・12:25発 |
雪のドイツ・フランクフルト空港17:20着(現地時間) |
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2日目午前(2012・1・28)【ハイデルベルグ】 |
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ドイツ南西部に位置するハイデルベルクは、ラインの支流・ネッカー川沿いにある都市で人口約14万人。ドイツでも最も古い1386年創立のハイデルベルク大学やハイデルベルク城があり、中世の街並みはどこから見ても絵になる。また古くから学生の街として知られ、かつてゲーテやショパンなど、名のある詩人や音楽家などが訪れ、後世に残るロマンや芸術を生み出しました。
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旧市街地を見下ろす高台にあるハイデルベルグ城は1300年頃、ブファルツ選帝候の居城として建造された。そして代々の選帝候が中庭を囲むように、さまざまな建築様式で建てた城館は破壊と再建を繰り返し拡張されたが、30年戦争などで破壊されて廃墟となっていたが、存続を望む声が多く徐々に再建がなされている。駐車場から滑りそうな雪道を上るとエリザベス門と城の姿が見える。
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フリードリッヒ5世が20歳の若い妻を驚かすために一夜で完成させたエリザベス門
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城門塔正面の「門の巨人」と盾を掲げる獅子のレリーフ最上部には時計台がある
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城門塔を入った左側にはルーブレヒト館
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ルーブレヒト館入口上の天使の像も寒さで頭に氷柱が・・・・
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廃墟化したオットハインリヒ館(中庭右)
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正面の1607年建築のフリードリヒ館(チャペルでは結婚式も挙げられる)
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1751年カール・テオドールが造った4代目のワイン樽。直径7m、長さ8.5m、世界最大規模約22万リットル。樽の上方にカール・テオドールのイニシャルであるCとTの紋章が飾られており、130本の樫の木が使われている。
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ハイデルベルク城は建造された年代により、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど様々な様式が混じっている。住民は、城の石を持ち出して自分達の家を建てていたが、禁止され、徐々に修復されている。
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カール・デオドール橋の橋門 |
ネッカー川に架かるカール・デオドール橋 |
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この橋は1788年に選帝候カール・デオドールにより建設され、長さは200mで石造りの重厚な橋で狭いが車も通れる。街のシンボルとされ旧市街地から哲学者の道に向かう際に渡る。哲学者の道は四季折々の花や樹木に彩られた歩道だが、雪景色で見る事が出来なかった。周辺には高級住宅が山の斜面に建ち並んでいる。
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ゴシック建築の聖霊教会はカール・デオドール橋から路地を抜けた市内中央部にあり、選帝侯ルプレヒト3世が、1400年前後に起工したが、内部、塔と順に建築され、今のような形になったのは1544年のことである。ハイデルベルクを襲った2つの戦争によって大きな被害を受けている。宗教対立による三十年戦争(1618〜48)の際には、ここに収蔵されていた「パラティーナ文書」と呼ばれる貴重な文書が、皇帝カトリック側の将軍ティリによって持ち去られた。この文書はのちにヴァティカンに収蔵された。(一部返還)1693年のプファルツ継承戦争時、フランス兵により、55もの選帝侯の墓が破壊された。
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ハウプト通り |

民館として最も古い「騎士の家」
現在はホテル |

マルクト広場の市庁舎(右) |
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ハウプト通りはハイデルベルク大学の学生の多い街です |

市庁舎前の洋館(右上の建物はハイデルベルク城) |
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南ドイツ・ローデンブルグ |