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強行スケジュールの旅行も最終日となりました。ロンドン郊外にあるデイズホテルで宿泊、朝食をとり、8時出発!。午前中は小雨降る中をロンドンの観光ポイント、バッキンガム宮殿・ウエストミンスター寺院・大英博物館の見学です。 |
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【バッキンガム宮殿】
バッキンガム宮殿の歴史は1703年にバッキンガム公ジョン・シェフィールドが自らの邸宅として桑畑を購入して建てた質素なバッキンガムハウスが前身で、1835年にジョージ4世により、ネオクラシック様式の宮殿に改築された。1837年にヴィクトリア女王の即位の際にセント・ジェームズ宮殿から移り住み、以後バッキンガム宮殿はイギリス王室の公式の宮殿となっている。現在、エリザベス二世のロンドンの公邸および執務の場となっている。約1万坪の敷地には宮殿のほか、舞踏会場、音楽堂、美術館、接見室や図書館などがある。宮殿前のヴィクトリア女王記念碑や正面大通りにあたるザ・マル通り終点にある海軍門は1913年頃に造られたという。エリザベス女王が宮殿内にいる時は正面に王室旗が飾られ、不在の時は国旗が飾られる。 |
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塀越しに撮影したバッキンガム宮殿 |

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守衛 |

ヴィクトリア女王記念碑 |

ヴィクトリア女王記念碑の女神 |

ザ・マル、海軍門 |
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【 ホースガーズ(近衛騎馬隊本部)にある近衛騎馬隊博物館】
バッキンガム宮殿衛兵の儀式は華麗である。軍服が美しく凛々しい。近衛兵交代式は見れなかったので騎馬隊が隊列を組んでくる、ホースガーズと呼ばれる近衛騎兵隊の本部にある近衛騎馬隊博物館行ってみた。イギリス近衛兵はイギリス陸軍近衛師団麾下の各部隊に所属する兵士であり、君主の警護や衛兵任務だけでなく、一般部隊と同様に実戦部隊としての任務もこなしており、そのための訓練を受け、最新の装備も支給されている。 |
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車窓からパチリ! |

近衛騎馬隊博物館入口 |
子どもが馬に触ってもびくともしません |
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【ウエストミンスター寺院】
ロンドンウエストミンスターにある、この寺院 は11世紀にエドワード懺悔王が建設し、1245年、ヘンリー3世によりゴチック建築に建て始められ17世紀まで長期間わたって建築されている。1066年以降、英国国王の戴冠式が行われている「王室の教会」で歴代の国王はここで戴冠式を行い、結婚式を挙げ、永遠の眠りについている。故ダイアナ妃の葬儀ももちろんここで行われた。埋葬者は13世紀〜18世紀のイギリスの王室関係者以外にも、政治家チャーチル、探検家リビングストン、科学者ニュートン、詩人ベン・ジョンソンほか過去千年にわたっ
て英国史上多くの著名な歴史上の人 物が埋葬されており今は満杯である。 |
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【大英博物館】
世界最大の博物館のひとつで、私にとって、あこがれの場所である。世界各国から集められた大英帝国最盛期の18世紀から19世紀にかけて世界各国から集められた、貴重な発掘物や美術工芸品など全収蔵品は約800万点を収蔵する。しかし一般に公開されているのは、そのうちの1%にすぎないという。収蔵品には大英帝国時代の植民地から持ち込まれた略奪品も多く、「泥棒博物館」と皮肉る人もいる。しかし文化財意識の無い時代に書物・収集物などが、ばらばらになって行方がわからなくなることを博物館の収集が防いだ一面もある。大英博物館の年間入場者は約500万人で入場料は無料である。館内を全部を見て歩くのに4・5日はかかるそうです。 |
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館を入った正面に大きな屋根つきのグレート・コート(中庭・ホール)があり博物館の各展示室をつなぐ通路の役割も果たしている。中央の大きな筒状の建物は大英図書館の閲覧室です。エジプトやメソポタミアなどの石像や彫刻、ギリシアやローマの美術品などを見学してきました。驚く程の貴重な展示物に圧倒され戸惑った。やはり来館前に大英博物館の展示物のガイドブックでの予備知識が必要ですね。 |
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グレート・コート |

エジプト第18王朝、アメンホテプ3世(B.C.1400年) |

石舟 |
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【エジプト文字(象形文字)の解読の手がかりになったロゼッタ・ストーン】
1799年、ナポレオンのエジプト遠征の際にロゼッタで発見された前196年の石碑のロゼッタ・ストーン@は。古代エジプトの神聖文字ヒエログリフ(象形文字)、民衆文字デモティック(簡略化した草書体)、ギリシア語を用いて同じ内容の文章が刻まれていた。1822年、フランスの学者シャンポリオンが、すでに解読されていた古代ギリシャ語とまだ解読されていなかった古代エジプトの神聖文字ヒエログリフと照らし合わせ、解読の鍵をみつけることができ古代エジプトの忘れ去られていた膨大な文字の記録が一気に解読されました。 |
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@B・C196年 ロゼッタ・ストーン |

カルナックの六体像 |

ナオスを捧げるパネシン像 |

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ニムルドの王宮を守っていた
人面獣身有翼像ラマッス
古代アッシリア(メソポタミア北部) B・C9世紀 |
.アハメス・メリトアメン王妃像
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エジプト ラムセス2世の巨像(上部) |

アメンヘテブ1世像 |
【エジプト・ミイラ室】 |
古代エジプトでは永遠の生命を信じ、来世で再生・復活するために永遠の肉体を必要とされ、盛んにミイラが造られた。ミイラを造るのに70日を要したといわれる。(写真A)のミイラの副葬品のスカラベ(糞転がし)は太陽の神と結びつき再生の象徴とされ、人形のシャブティーは来世で死者に仕えて働かせるため一緒に埋葬された。中王朝時代(紀元前2000年ごろ)の木棺(写真B)の東側にはウジャトの眼が描かれています。体の左側を下にして寝ているミイラは、この眼を通して外を見ることができ、太陽が昇るのを見られるようの東を向いていました。副葬品の船は死者の魂を運ぶためとされている。 |

ミイラを納めた棺・内部も装飾されている(左) |

ミイラを納めた棺 |
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彩色鮮やかなミイラと木棺に納めたミイラ(奥) |

内臓はミイラとは別に防腐処置を施され壺に入れた |
黄金に彩色されたミイラ(下) |

A胸に宝石をつけスカラベとシャプティーが置かれた
顔は金貼りの女性カテベトのミイラ |
B木棺の東側にはウジャトの眼が描かれています
ミイラの副葬品の船
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ほぼ完全な形で人体が保存されてた「ジンジャー」
エジプトでミイラ作りが普及する前、紀元前
3000年以前に埋葬された成人男性のミイラ
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【ギリシャのパルテノン神殿の彫刻やレリーフ(エルギン・マーブル)】
紀元前7世紀にエーゲ海で花開いた古代ギリシャ文明。アテネを守護する女神“アテナ”を祀るパルテノン神殿の三角屋根の下に飾られていた神々の群像と浮き彫り彫刻と、神殿を飾っていた「パンアテナイア祭」の様子が描かれた浮き彫り彫刻が展示されている。この展示品はギリシアがオスマン帝国領の時代、イギリスの第7代エルギン伯爵トマス・ブルースが1801年から10年間をかけ彫像を掘り起こし、パルテノン神殿の壁面をはぎとって運び出し、イギリスのエルギン卿の屋敷に持ち帰ったが、のちに世の中の反発を招き、帝国議会の命令で1816年に大英博物館に売却されたものです。ギリシア政府はイギリスに返還要求をしています。
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パルテノン神殿の屋根下の三角形の部分・破風(左)を飾っていた彫刻 |

破風(右)を飾っていた彫刻 |
 パルテノン神殿の東側破風(上部)の彫刻
月の女神セレネの戦車を引く馬の頭部 |

供儀用の香炉や酒瓶を持って行列を先導する乙女たち |

神室上部の外壁を飾っていた騎士たちの行列 |

式典の始まりを待つ貴賓席の神々の使者ヘルメスや酒神のディオソニックス、豊穣の女神デメテールなどの神々 |
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神殿の周囲をめぐる46本の円柱の上に渡された梁の部分に1面ずつ配置されていた浮彫板にはギリシャ神話に登場する半人半馬の怪物ケンタウロスと人間の争いなどが描かれていた。 |

ケンタウロスがラピタイ人の首筋腕を回して殴りつけようと構える |

ケンタウロスがしゃがみ込んだラピタイ人に襲いかかる |

ケンタウロスがラピタイ人の喉元をつかみ前脚を絡ませている |

ケンタウロスが若い女性を抱えて戦場から逃げる |

うずくまるアフロディテ像・2世紀ローマ時代の彫刻 |
ローマ時代の彫刻 |

レイデス・モニュメント |
【ネレイデス・モニュメン】
紀元前 390年頃、ギリシャのエーゲ海の対岸にある現トルコ領の小アジアに住んでいた、リュキア人と呼ばれる先住民で、クサントスという土地の君主でアルビナスという人物の墓廟である「ネレイデス・モニュメント」です。ネレイデスとは、ギリシャ神話に登場する海神ネレイデスの50人の美しい娘を意味している。この小国は紀元前6世紀の半ばにはペルシャに征服され、さらにギリシャの征服されるなど古代の地中海の強大な勢力の巻き込まれた小国でした。この墓廟は19世紀にバラバラで発見され、大英博物館で復元され展示してある。
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【メソポタミヤ文明】
ティグリス川とユーフラテス川の流域で発生した世界最古の文明で、紀元前3000年頃ティグリス・ユーフラテス川に系統不明の民族シュメール人が都市国家を創りだしている。紀元前2500年ごろウル第一王朝が
建国し、紀元前2350年頃セム語派のアッカド人がシュメールを征服し、紀元前2350年ころ,アッカド王サルゴンがメソポタミアを統一した。くさび形文字のほか,太陰暦・七曜制・60進法も生み,エジプト文明,インダス文明の誕生にも影響をあたえた。
1927年にイラク南部で、古代メソポタミアにあったシュメール人の都市国家のウルの王家の墓の遺跡が発掘された。スタンダードの装飾は戦争と平和を表しており、その用途は謎に包まれているが、スタンダードは楽器の共鳴板だったという説がある。ウルのゲーム盤(すごろく)は世界最古のゲーム盤である。 |
ウルの牡山羊とスタンダード(うしろの箱)
BC2700年 |

ウルのスタンダード・宮殿に品々をおさめる人々

スタンダードの反対側の絵・戦車や捕虜が王に命乞いをする様子 |

ウルの王墓からの殉死した侍女たちのの装身具 |

ウルのゲーム盤
BC2600年頃 |
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【街の散策フォト】 |

ロンドンバス |

電話ブース |

船を形ちどった観光バス |

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レスタースクエアの中華街 |

ピカデリーサーカス(広場)のネオンサイン |

広場のシャフツベリー伯記念噴水と「エロス」 |

レミゼラブルの劇場 |
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【トラファルガー広場】
ウェストミンスターにある噴水のある広場は、1805年のトラファルガーの海戦を記念して造られた。広場の噴水の隣に、巨大な4頭のライオンのブロンズ像に囲まれて建っているネルソン提督の51mもある記念柱は,ナポレオン戦争時のイギリス海軍の提督で、1798年のアブキール湾の戦い、1805年のトラファルガーの海戦でナポレオンを敗走させ、イギリス海軍の誇りとされた人物です。周囲の巨大な4頭のライオン銅像は東京日本橋のデパート三越本店の入口にあるライオン銅像のモデルにもなっています。三越本店開設の準備のため当時の支配人が欧米を視察した時に、ここのライオン銅像が気に入り、小ぶりの同じ姿の銅像をイギリスで注文し、3年の歳月をかけ英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造し大正3年(1914)に日本に送られている。広場の噴水の北側には1824年に設立されたナショナル・ギャラリーの建物がある。世界最大の美術館のひとつで、13〜20世紀初頭のヨーロッパ絵画コレクションが中心で、レオナルド・ダビンチやボッティチェリから、ゴッホやセザンヌまで、一流の作品が集まっている。モネの “睡蓮” ・ゴッホの “ひまわり” も、展示されている。
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ネルソン提督の記念柱 |
巨大なライオン像 |
ナショナル・ギャラリー |
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【ロンドン自然史博物館】
1753年に大英博物館の一部門として始まっている。大聖堂を思わせる現在の建物は1881年の開館で、一番人気は恐竜の化石。ここでも玄関ホールにレプリカのディプロドクス「ディッピィ Dippy」が鎮座する。7000万点以上もの収蔵品からなる生命科学・地球科学コレクションの収蔵施設である。全館入場は無料である。 |
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ロンドン自然史博物館 |

タイルの配色がすばらしい |
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【ロンドン塔】
ロンドン塔は、テムズ川の岸辺、タワーブリッジの近くにある中世のに築かれた城塞である。ウィリアム一世征服王が、ロンドンを外敵から守るために建設しました。その後、11〜16世紀の間、歴代のイギリス国王によって建築および増築がされました。当初は、王族の住居になっていましたが、1282年頃からは政治犯の牢獄として役割を持つようになりました。現在もイギリス王室が使用している宮殿であり、戴冠式のパレードはロンドン塔から始まる。世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列してあり、見学者が大勢訪れる。 |
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ロンドン塔入場口のあるタワーヒル駅周辺の建物 |

ロンドン塔 |

ロンドン塔 |
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【 テムズ川クルーズ】
ロンドン塔入口のあるタワーミレニアムピアの船着き場からウェストミンスター宮殿(議事堂)まで船で観光しました。船着き場からも見えるタワーブリッジは1886年に着工され、1894年に完成したゴシック様式の跳開式の可動橋です。可動部分は昔は水力を利用して開閉していたが、現在は電気で動かしている。対岸の87階の超高層ビルは「ザ・シャード」です。ロンドン・ブリッジ駅近くに建てられた87階の超高層ビルで落成したばかり(2013年2月)です。全面ガラス張りのピラミッド形のビルで、サッカー場8面分の面積の1万1000枚のガラスが使われています。高さは310mで、ヨーロッパでは最高の高さで、72階には屋外型展望台がありロンドンの新名所となるでしよう。 |
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タワーブリッジ |
ザ・シャード |

地上87階建てのザ・シャード(右) |

.鉄道橋 |
ウォータールー橋 |

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キャノン・ストリート鉄道橋とブラックフライアーズ橋(手前) |

ロンドン・アイ(観覧車) |

ロンドン・アイは直径135m、カプセル1個当たり定員(25人) |

ルネッサンス様式の優雅な建物・カウンティ ホール
1986年までは、ロンドン市庁舎として使われていた
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ウエストミンスターの到着船場 |

ビックベンとウェストミンスター宮殿(議事堂) |
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【ウェストミンスター宮殿】
午前中に見学したウエストミンスター寺院の隣にあるウエストミンスター宮殿は11世紀半ば、エドワード王がこの地に宮殿を建てました。1529年に、ヘンリ8世が現在の官庁街ホワイト・ホールに王宮の機能を移して以来、宮殿でありながら国会議事堂として使用されている。最初の建物は1834年の火災で、大部分が焼失したので、1860年にゴシック様式で再建された。宮殿の北側にそびえる時計塔は高さ96m、時計の直径は7mで、1895年に完成した。建築時の工事監督のあだ名からビッグ・ベンと呼ばれ、今も手動ゼンマイ式で動いています。船を降りビックベンの時計台から橋を渡りカウンティ ホールに入っているマリオット ロンドン ホテルで豪華にケーキ付の午後の喫茶を楽しむ。その後、集合場所のロンドン三越で買い物を終え、帰路のヒースロー空港に向かう。 |
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終わり! |
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