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    【首都デリー】
 古くは現在のオールドデリーだけの町であったが、1911年に南方5kmにイギリス統治下の新しい首府としてニューデリーが建設された歴史がある。古い都、オールドデリーにそびえる巨大な赤い砦、ラール・キラー(赤い城という意味)(デリー城)は、あの美しい霊廟タージ・マハルを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建設されたました。この広大な城は、9年の歳月をかけてムガル帝国、絶頂期の1648年に完成し、都をアグラからデリーに移しました。しかし、彼はその晩年、三男によってアグラ城に幽閉され、第6代皇帝に三男のアウラングゼーブがなりムガール皇国の居城となりました。しかし、ムガール帝国は以後衰える一方で、イギリスの植民地化が進んでいきます。
        ラール・キラー2007年に世界遺産に登録)
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入口の物売り ラール・キラー(赤い城)
ラーホール門 なが〜い城壁 城壁
チャンドニー・チョウク大通りの寺院群
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 1857年
にはイギリスの支配に反発し、ムガール帝国の支配権の再確立を要求したインドの兵士・農民と圧倒的に強力なイギリス軍隊が戦ったセポイの乱(インド大反乱)ムガール帝国が滅ぼされイギリス直轄領になりました。1877年イギリス国王がインド皇帝を兼ねるインド帝国へ作り替えられ、イギリスの支配下になっていまう。このイギリスによる支配は20世紀になってマハトマ・ガンジーが登場するまでの 100年弱も継続して、1947年インドは独立することができました。
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 1921年にイギリスがフランスの凱旋門を真似をして建てたインド門は第一次世界大戦でイギリス兵として戦って死んだインド人8万人余りを偲ぶための慰霊塔です。。高さ42mをほこる石造りの門の壁面は戦死者の名前が刻まれている。ここを中心に道路が四方に延びて、大統領官邸や国会議事堂等の建物が続いています。
インド独立の父、マハトマ・ガンジー1948年1月30日、凶弾に倒れる。死の翌日に荼毘に付された場所です。4分の1の遺骨が埋葬され残りは河に流されたという。大きな公園になっており、硝子ケースの中には火葬されたときの火が捧げられています。
公園にはのら犬も多い 広い公園の中にあるガンジーの火葬場 ラージ・ガート・ガンジーの墓

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 インドの首都デリーの中央にある静かな庭園に囲まれた、フマユーン廟は1565年ムガール帝国第2代皇帝フマユーン帝ハージ・ベグムが夫のために建てた最初のイスラムのペルシャ文化とインド伝統の様式が融合された、ムガール様式の霊廟である。中央にそびえるドームの高さは42.5m。建物と庭園全体は左右対称に配置されており、前後左右どちらから見ても同じ形になっている。このフマユーン廟に影響を受け、似たデザインで建設されたのが、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの霊を祀るために1653年に建てた有名なタージマハルの霊廟である。
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猛暑の中犬もたいへん 石の格子窓 中央の仮の棺
(フマユーンの遺体はこの真下に安置)
3兄弟の棺 赤砂岩に白大理石を埋めこんでいる イサ・カーン廟

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 クトゥプミナールはデリーのはずれにあるデリーで最も古い遺跡です。デリー・サルタナット朝の創始者クトゥブッディーン・アイバク1200年頃に北インドを征服した。彼は勝利の記念碑としてクトゥブ・ミナールをデリーに建立させた。

 遺跡に入ると未完成の塔の基部が見えた。アラーイ・ミナール@といい、ハルジ朝スルタンアッラー・アッディーンクトゥプ・ミナールよりも高い塔を建てようとしたが暗殺されてしまったので計画倒れになった塔で、基部の高さは24.5mある。完成していれば元のクトゥブ・ミナールを超える、100mを大きく超える塔になっていたとされる。

モスク内広場の中心にある錆びない鉄柱Aは西暦415年マウリヤ朝によって作られたとある。
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@クトゥブ・ミナールより高い塔を建てようとして、
挫折した未完成の塔
アラーイ・ミナール

クワット・アルイスラム・モスク跡


この鉄柱は、グプタ朝時代(4世紀)に作られ
ヒンドゥ教の遺産とされている

 A純度は100%近く、未だに錆びていない

コーランの文字装飾 西暦415年、マウリヤ朝によって作られた
高さ7mの純鉄の塔
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 インドで最も背の高い石造の塔の
クトゥブ・ミナールの高さは72・5m。しかし事故以前の高さは100mを超えていたとされている。コーランの文字や細かい細工は見事な出来ばえである。主に赤砂岩によって構成されている。
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コーランの文句が外壁に刻まれてその上下にある細かな模様

クトゥブ・ミナールはイスラムの王クトゥプ1212年に塔の建設を始めた。1階の部分が完成したところでクトゥプ帝は亡くなり、後を継いだエルトゥール帝が完成させた。当初は7階建てだったが13世紀に落雷で上部が崩れ今は5階までが残っている。近くの広場に復元された6階とと7階の部分が置かれている。
6階とと7階の部分

クトゥブ・ミナール

ミナールはモスク(礼拝堂)にある祈りの時を知らせるための尖塔である

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 Bはヒンズー教の寺院を壊して造ったインド初のモスクであるクワットル・イスラム・モスクの遺跡です。石材の壁や柱にはヒンズーの彫刻が残っている。建設当時は丸いドームの造り方を知らなかったのですり鉢形Cになっている。
(1993年世界文化遺産指定)
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C屋根上のすり鉢型がモスクのドーム

暑い中リスも水飲み

隠した漆喰がはがれヒンズー模様が見える
Bヒンズー寺院を破壊し、その石材を用いてインド初のモスクを建てた遺跡
空港でガイドさんとの別れ 機内食

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