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 午前中にアンベール城観光を終え、アンベール王国が人口増加と水不足の為に1726年に南西11kmに町を造り遷都したジャイプル(王の名にちなんで名付けられた)に移動する。この頃の日本は、江戸中期の凶作が続いた享保年間である。文化の違いを感じる。

 ジャイプルの旧市街地は約10kmの赤茶色の城壁に囲まれ、街には7つの城門がある。その城門を入ると、街全体がピンク色(実際は紅褐色)で、別称「ピンクシティ」とも呼ばれる華やかな市街地である。街の中心部には
マハラジャ、サワーイ・ジャイ・スィン2世により造られた宮殿「シティ・パレス」がある。

現在、チャンドラ・マハル、(月の宮殿)の1・2階は博物館として使われており、王室の衣装やショール・武器が展示されている(写真撮影禁止)。上階には現在も子孫が住まわれている。
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旧市街地の入口の城門 ラージェーンドラ門
宮殿出入り口の左右には大きな
白大理石で出来た象の彫刻がある
ディーワーネ・カース
(貴賓謁見の間)


貴賓謁見の間の左右にある巨大な銀の壷は
マハラジャ
がイギリスを訪問した時にガンジス川の
水を詰め沐浴に使った(世界で一番大きな銀製品)

室内は優雅で綺麗な雰囲気
赤いターバンをかぶった守衛と記念写真
チャンドラ・マハル(月の宮殿)
現在も上階には子孫が居住している。
チャンドラ・マハルの内庭 孔雀を装飾した門

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 ハワー・マハル(風の宮殿)
シティ バレスの一部で、バザールの大通りに面している。1799年マハラジャ・ブラタブ・シンによって建てられました。紅褐色の5階建の建物で、953の小窓がある。正面から見た大きさに比べ奥行がなく、姿を見られず街を覗く目的として建られ、裏側から階段で上に上がる構造になっている。風通しのための透かし彫りを施した出窓が優美さを誇る。この小窓から宮廷の女性達が自らの姿を外から見られる事無く、街の様子や、祭を見物して楽しんだのでしょう。この小窓を通して風(ハワー)が吹き抜けて暑い時でも涼しい構造になっている。
ハワー・マハルの前の通りには観光客目当てのみやげ店が並んでいる。街全体が褐色に塗られているが、1876年にイギリスの皇太子がジャイプールを訪問した際に王様が街全体をピンク色(褐色)に塗らせたという。以来何年かに1回は街並み全体を塗り直して統一している。大通りでは土産店の呼び込みの声で活気があり、路地裏まで店が並び買い物を楽しめる。  
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ハワー・マハル(風の宮殿)

風の宮殿周辺には多くのお土産店が並んでいる。 壁が赤茶色をしているが、旧市街全体の
イメージカラーとなっている。
土産店でインド人に変身!

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ハワー・マハル(風の宮殿)シティ・パレス(月の宮殿)との間にはジャンタル・マンタルと呼ばれる野外天文台がある。マハラジャ、サワーイ・ジャイ・スィン2世は天文学に興味があり、外国の天文台を知るために学者を派遣しました。1724年から1737年までに、ムガル皇帝の許しを受けて、インド各地に5ヶ所の天文台が造られました。天文台は正確でなければならないとの考えから石や大理石で造られ、特にジャイプルのものが巨大で、観測儀も多い。現在のは1901年に修復されたものです。
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天文台から風の宮殿の裏側が見える 天文台から月の宮殿も見える 20秒単位の時間が測れる日時計
ジャイプルの現地時間を決めた
天文台全景 他の観測儀の結果を直径4m中に入り補足観測する ヒンドゥー暦を作るため時刻や天体の位置や
星の動き測る観測器で円盤に結果を記入
2秒単位の時間と天頂距離と子午線などを測る。
高さ27,4mあり傾斜角度と方向は北極星を指す
太陽高度や時刻を表示 12の傾斜した観測器が各星座に向けてあり、占星家が利用して正確な占いをした
 
本日の観光を終えホテルに到着。立派な髭のドアマンと記念写真。ここでもおいしいインド料理です。窓からの写真はジャイプルの市街の眺めです。


                          インドアーグラー観光ファティプールシクリとアーグラー城