庄福BICサイト      ポンペイ遺跡・前編      2010・7・13観光


 
   ナポリの南東10キロに位置したポンペイ遺跡は、西暦62年に激しい地震がポンペイを襲いその再建作業も完全には終わらない79年8月24日にナポリ湾を見下ろすヴェスヴィオ火山が大噴火して、奴隷を含むおよそ人口1万5千人のポンペイの町は火山灰に埋もれてしまいました。

 当時の日本は卑弥呼の時代より古いく、佐賀の吉野ヶ里遺跡に見れるような粗末な木造小屋の生活をしていた弥生時代である。

 1748年に農耕地から大理石像が発見され大規模な発掘によって、古代都市の様子が出現しました。1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。上下水道が整備され、きれいな水が町中に送られ水量調整できる蛇口を使用している。パンを焼く窯、公衆浴場、サウナ、裕福な家、神殿などの遺跡は近世の生活に似ており驚きを感じる。
 右が溶岩が流れてきた跡  劇場広場(剣闘士の宿舎)
 円形劇場  




街並のモンタージュ図 
出典Timescape:Journey to Pompei
 道路の両側は歩道だが真中は車道で豪雨の時には排水路となる 
   
 道路の排水口   歩道に残る模様
   
車止め  娼館への方角案内
   
 娼館  娼館での営みを描いたフレスコ画
   
  住宅の釜戸  
 アボンダツア通り   道路沿いの水道
   
アボンダツア通り   
レンガや石で築かれた建物には、火山灰と石灰とを混ぜたローマセメントを使用し、壁塗りされた室内にはフラスコ画が施されている
 残された室内のフラスコ画  道路側にある壁の看板文字
   
 
   
 フオーロ広場  ジュピター神殿

フオーロ広場(上写真)の復元図
 フオーロ広場の周りにいは裁判所・役所・市場・神殿などがあり町の宗教や経済活動などの中心であった。

北側にはジュピター神殿があり、上部にジュピター頭像の模造像がおいてあり、両側は凱旋門で挟まれている。
 広場の発掘品保管展示場・手前は大理石 発掘された陶器類・下段は水甕
発掘の際に空洞に石膏を流して出来た犠牲者像  
     
 発掘された邸宅の彫刻像・貴重発掘品はナポリ国立考古学博物館に所蔵
   パジリカ(裁判や政治・経済の討論の場)
   
レンガや石をローマセメントで固めて造った壁や柱はさらに装飾用セメントが塗らていた。 
 エウマキーア館(羊毛職人組合) 入口を囲む大理石の浮彫り装飾がすばらしい。(透明板で保護中)

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