庄福BICサイト

ガウディの建築を訪ねて (その2)
    【カサ・ミラ】
 ガウディが手がけたグラシア通りにある最後の私邸で、施主の住居といくつかの家族が暮らす集合住宅となっている。カサ・ミラは独特の形状からペドレラ(石切り場の意)とも呼ばれている( )山をテーマとして直線を排除し、ゆがんだ曲線でなしている。屋上の煙突は山の尾根から突き出した峰々を表してるという。1906年から1910年( )かけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設された。1984年にユネスコの世界遺産に登録された( )
     .
カサ・ミラ グラシア通りの交差点   正面外壁
 
外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られた   バルコニーの鉄製のオブジュジョルジェは波に漂う海藻のよう
(ガウディの弟子の
ジュジョルが製作)
屋上テラスの煙突は山の尾根から突き出した峰々を表す
      【カサ・バトリョ】
 カサ・ミラからグラシア通りを南に少し歩くと、ひと際目立つカサ・バトリョの建物がある。この持主の繊維会社の社長パトリョは、左隣に繊細な装飾を施したプッチ・イ・カダファルクが設計したカサ・アマトリエーが出来た為に( )対抗して隣より美しくする為にガウディに依頼し、改築された建物です。左隣の建物を設計したプッチ・イ・カダファルクガウディドメネクに続く建築家でライバル同士でもあった( )カサ・バトリョは外壁に埋めこまれた色ガラスは海面の乱反射を、室内は木目の美しいガウディ流曲線の建具が使われ、海底洞窟を表し海をテーマとして19041906年に改築されました( )
         .
 
ジョゼップ・プッチ・イ・カダファルクの設計のカサ・アマトリエー(左)鮮やかな色の切妻屋根と
カサ・バトリョ (1階正面に入場券売り場)  最上階の花びらのバルコニー
浅いレリーフの壁面の建物でガウディは非常に意識し、カサ・バトリョの改築を手がけた 
 海面を表した正面外壁 仮面のようなバルコニーが建物にインパクトをあたえている 
階段 曲線のドア 中央外吹抜けの窓 隣室への通路
 
暖炉前  2階窓枠の曲線と上部の丸い貝のステンドガラス 
2階広間の仕切り大ドア  中央部明り取り外吹抜け
3階喫茶休憩所・椅子も曲線美  100年経った丸い木枠窓からのグラシア通り 
 
 バルコニーからの光がおりなす人のシルエット  3階バルコニーへの出入口 建物の裏の外観・3階バルコニーより
                              
          
.
               
ドメネク・イ・モンタネールの建築を訪ねて
 
ドメネクは有力な印刷業を営む家庭に生まれ、25歳にして建築学校の教授になった( )3歳下のガウディとは教授と学生の関係だった時期もあった。建築学校の学長、国会議員となり、バルセロナではいろんな文化団体に所属する文化人でもあった。

               .
          【カサ・リェオ・モレラ( )
 モンタネールが改装した建物で市の芸術建築コンテストで表彰された。塔と花の彫刻をモチーフとした派手やかな特徴的な建物です。1階にはロエベが入っている( )通りには、他にもルイ・ヴィトン、グッチ、シャネルなどの高級ヨーロッパブランドの店も並んで( )

   
グラシア通りのドメネク・イ・モンタネール設計のカサ・リェオ・モレラ カサ・リェオ・モレラの屋上の釣り鐘状の塔やバルコニーは美しい曲線装飾です
   
1階にある皮革ブランド・ロベエのブテック グラシア通りのブテック街

豪華な音楽堂メインホール
        【カタルーニャ音楽堂( )
 1891年にカタラン人のルイス・ミイェットが合唱団を創立( )そののち練習をする為のガウディのスライバルであったドメネク・イ・モンタネールに音楽堂のデザインを依頼した。修道院跡に1905年から1908年に建築されました( )ドメネクの最高傑作の建物であ、その多彩な色で装飾された豪華な音楽堂の建設により1909年にバルセロナ市より賞を受けた。世界的に有名な音楽ホールとなり( )1997年にユネスコ世界遺産に登録されました( ) ドメネク1997年に世界遺産に登録されたサン・パウ病院も建設している( )
           
.
   
角壁面の石の彫刻像は子供、お年より、船員、商人などの市民を表す  ここ、カタルーニャ州の旗とパーティーのクイーンと、沢山の男性と女性が歌っているすモザイク画
   
音楽家バッハベートベンパレストリナワグナーの胸像が飾られている   華やかな柱や天井のバラ花模様装飾
   
正面口の柱頭には無数のバラの彫刻が  玄関ホールから2階への豪華な階段
庄福BICサイト    バルセロナ観光・カサドラルとモンセラット修道院