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正門は昔と変わらないが樹木は大きく成長している |

完成当時は砂利道でした。(大正4年撮影) |
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杵築藩の藩校「学習館」の門と同じく江戸様式の切妻造、桟瓦葺の腕木門である。両脇に袖塀を持ち、連なる石垣土台の屋根塀は上部に窓枠を配している。大正4年(1915)の完成した当時の道は砂利道であったが、のちに石畳が敷詰められている。現在は樹木が茂り風情をなしているが、門は創建時とほとんど変わっていない。門を入ると玄関前のロータリーまで続く綺麗な石畳の通路は海からの風の匂いと季節ごと変化する木々を楽しめます。
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玄関前

外玄関 |

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石灯籠
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成清博愛の故郷・瀬高町堀池園から成清和子さんを表敬訪問(2011・4) |
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大正4年(1915)の古写真は庭園造成中であろう、表題の同年の玄関の写真と比較すると石灯籠や玄関と大広間部屋との目隠しの竹垣はまだ設置されていない。玄関前の洋風建築に良く見る石畳のロータリーの周りには植え込みが施され樹木が程よい景観を成している。玄関は大理石の敷石が施されている。
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@18畳の大広間(海側)

A床の間の組子障子 |
B大広間 |

C付書院 |

D馬上金山の松風館 |

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大広間の天井Eは桐板を使い、広間境の縦格子欄間Bは一枚板を彫り込んだものです。床の間の組子障子Aは当時の職人技を見せつける作品です。左横の付書院Cの左の飾り棚は創建時の物が残されている。上の「國本」の扁額は明治33年の立憲政友会の創始者、伊藤博文翁の書で以前は馬上金山の倶楽部松風館2階の大広間Dにも掛けてあった。現在ある大正ロマン風の電灯のシャンデリアEは創建当時の写真Bには無いので、5年位後に電気が引かれてから設置された物であろう。虎の屏風は残されていないが、大正5年1月に博愛が世を去った後に、長男の信愛が父の遺徳をしのび、和田三造画伯に「馬上金山の全景」の下絵を画き三造の奥さんが刺繍を施した馬上金山全景四曲一双の屏風絵がある。そのほか著名人の扁額や掛け軸・色紙などが飾られている。
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E大広間の天井 |

馬上金山全景・四曲一双の屏風絵 |
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城下かれいのスケッチ |
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E手前の建物は後年「汐湯」を移築されている
石灯篭は同じ場所に現存している |

F手前の建物が大広間 |

G鞍馬石の靴脱石 |

H大正時代のガラス戸 |

I移築された「汐湯」2階建て |
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J庭園からの眺め |
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大広間縁側の手前の建物EIは海岸縁にあった「汐湯」の建物を移築されたものです。皇族方の迎賓館として使用され通路には赤じゅうたんが敷かれている。大広間縁側前の石灯籠は写真EFで検証すると同じ位置に現存している。庭に出る靴脱石は京都から取り寄せた、希少価値が高い大きな鞍馬石Gが使われている。縁側の窓ガラスHは手作業によるもので、そのガラスに映り込んだ景色に少しひずみがあって、大正時代の味わいを醸し出している。
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K樹木も大木になった現在の庭園 |

L大正4年の庭園造成時 |
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庭園は高崎山を築山に、別府湾を泉水に見立 てた借景の庭園Jとし、在来よりあった老松や樹齢数百年の樹木のほか、県内外から集められた楓(かえで)、山桃、楠、松などの古木、名木が植え込まれた。巨泉を掘り、巨大な灯籠を建て人工の美を発揮させている。この庭園に大正5年10月10日の夕方に何処より白鶴3羽飛んで日出別邸に入り邸内の老松に宿った。周辺からの見物客が集まり、80歳の古老もいまだ見たこと無しと語る。3羽の白鶴悠々一夜を松間に明かし翌朝に飛び去った。(馬上金山志より)周りの塀は高さ2.6m余の瀬高町製の煉瓦塀を数百m廻らした。95年の歳月により庭園の樹木も生長し、来客の散策コースとなっている。
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M海から見た大正4年の的山荘全景で、左側に見える建物が落成した的山荘Nで右端が日出港Oである。 |
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N大正4年1月完成した的山荘 |

O当時の日出港 |
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的山荘の海岸縁にある建物は「汐湯」と呼ばれていた2階建ての建物であるが、海遊びの休息場であったであろうか。現在は上部の的山荘の大広間の横に移築され、皇族方がお見えになった時の迎賓館として使用された。
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P大正4年の貯鉱場 |

Q碩田号発行の日出停車場(駅)絵葉書 |
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日出港は田園の広がる小さな漁村であったが、博愛は鉱石を船で運ぶために莫大な私財を投じて港を整備し、日豊本線の日出駅から当時としては珍しい浜線(引込み線)を引き、鉱石を日出港に運び、馬上丸の台船に乗せて、茨城の日立鉱山の製錬所に運びました。写真Bには日出驛前貯鉱場Pやの碩田号発行の絵葉書には日出停車場Qとあるが海の傍のあることから、日豊本線の日出駅から引込んだ浜線の日出港側の駅の事であろう。右奥が日出港の漁村で、現在は埋立られている。
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