庄福BICサイ           2010・7・11 花の都フィレンツエ観光

 

アルノ川
左岸の高台にあるミケランジェロ広場からはフィレンツェ市内を一望できる。大きな茜色の屋根をもつサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会前の大聖堂広場は「花の聖母」と呼ばれ市民の誇りとされている。ウェッキオ橋の傍のウッフィッツィ美術館にはダ・ヴィンチラファエロミケランジェロといったルネッサンスを代表する巨匠たちの作品が展示されている。
       

13世紀末に建てられた サンタ・クローチェ教会はミケランジェロ、ダンテ、ガリレオ・ガリレイ、マキャヴェリなどイタリアを代表する偉人たちの墓所として有名である。
   
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ウッフィッツィ美術館 中庭   ヴェッキオ橋は中世の形を残し橋両側には金細工の店が連なる(美術館から撮影)
ピッティ宮殿とヴェッキオ宮殿を結ぶ回廊である
 
 受胎告知 ダ・ヴィンチ1475年頃作
ヴィーナスの誕生 ポッティチエッリ1484年頃作   
 
(プリマベーラ) ポッティチエッリ1482年頃作 ウルビーノ夫妻の肖像 ピエロ・デッラ・フランチェスカ 1472-1474年作
 

ヴェッキオ宮殿は14世紀に政庁舎として建てたゴチック建築の宮殿
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 ヴェッキオ宮殿の前にはレプリカの野外美術館 シニョリーア広場がある 
 ヴェッキオ宮殿前の新婚さん 大勢の観光客でいっぱい!
ジャンボローニャのサビーニ族の女たちの強奪 
1580年〜1583年の作
ヴァンディネッリのヘラクレスとカークス像 ミケランジェロのダヴィデ像(本物はアカデミア美術館あり)
1501年〜1504年の作
   サビーニ族の女たちの強奪の伝説】
 紀元前753年4月21日、ロムルスは即位し、ティベリス川(テヴェレ川)の畔に都市ローマを建設した。ローマは建国当初、大部分がひとり身の男性だった。政治が安定すると、他の部族から女を略奪してくる。ロムルスは近くに住むサビーニ族を祭りに招待し、祭りが高潮に達した頃、ロムルスの命令で、ローマの若者がサビーニ族の女たちに襲いかかった。驚いたサビーニ族の男達は、自分の妻や子供を守るのに懸命で、自分達の部落にやっと逃げ帰った。その後サビーニ族は、強奪された娘たちの返還をローマに要求したが、ロムルスは自らも正式に結婚して妻にすると言い、結婚式も挙げた。この女たちの返還について、サビーニ族とローマとの戦いは4度にわたった。4度目にローマ人の妻になった元サビーニ族の女が、この戦いをやめて欲しいと仲裁に入り、事が収まり和平が成立した。サビーニ族の女たちは、強奪はされたが奴隷にされたわけではなく、妻として大事にされ相応の待遇を受けていたからだ。のちにローマはサビーニ族を平等に併合し、ローマ人とまったく同等の市民権を与え、移住を勧めてしクイリナーレの丘の付近の土地を与えたを言われる。欧米には、今でも花婿が花嫁を抱き上げて新居の敷居をまたぐ習慣があるがそれはこの故事に由来すると言われている。
   【ヘラクレスとカークス像
 弱いものをさらに痛めつける非道な半人半獣カークスをやっつける、ヘラクレス。ヘラクレスがカークスの髪を掴み足元にひざまずかせている
   【ダヴィデ像
イタリア・ルネサンス期の巨匠ミケランジェロによる彫刻。、旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。
 
炎天下のフィレンツェ の街を日陰を選びひたすら歩いて観光! フィレンツェの街角店先のカフエテラス ドゥオーモ近く 

 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂1296年に、建築家カンビオによって大聖堂が着工したが1877年に取壊され19世紀に完成した。時の芸術家が腕をふるい、600年の歳月を経て”花の聖母大聖堂”と呼ばれ親しまれた。ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセントと・ポール大聖堂に次ぐ世界で3番目の大きさを誇る。
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ドゥオモの正面には八角形の洗礼堂がある
大聖堂の天井には最後の審判などのフレスコ 画がある  ジョットの鐘楼は1359年に完成し高さ84mある
 

左の八角形の建物は天国の門のある洗礼堂
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八角形の洗礼堂あまりの美しさにミケランジェロが天国の門と称賛した
 
 
 
大聖堂の正面の幾何学的な装飾はイタリアの国旗の色でもある、赤、白、緑の鮮やかな色大理石が使用されている。
 
 
 イタリア料理の定番はパスタとピッツァ。本日の昼食です!  生ハムピッツァ 。大きくて1人では食べきれません!
庄福BICサイ                    ピザの斜塔観光i