【地名のはなし】明治初期の測量地図 |
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新堀(小字名) |
地名語源辞典には堀は、朝鮮語「部落・村邑」の意で、新堀とは新来民族の部落の義」とある。ここ禅院と山中は縄文時代から人が住み遺跡が多い所だから、古代朝鮮帰化族が住んで、新しい文化・技術をもたらしていたとも推測できる。藤の森古墳の北に広がる水田の地名です。
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日吉谷(小字名 |
広瀬の日吉谷は日光の良く当たる谷と解してよいでしょう。現在はミカン畑が広がっています。谷には中世か近世に築造された貯水池があります。池の側には巨岩を配した藤の森古墳があります。 |
【藤の森古墳】
古墳には高さ10m以上もあるタブの木や藤の木が茂り、以前はみだりに、この森に入ると神の祟りで死ぬと言伝えられて誰一人踏み入り人はなかった。この古墳の中央部に、身の巾2m以上の立石と伏せ石が一個ずつ他にも数個の石が組まれています。大石は、長さ5.4m、高さ3.6m、ある。これは2つの巨石を中心とする古代信仰の磐座とも言われてきた。大正2年の秋に禅院区の人々が森を開いて公園のようにし、大石に七五三縄を張って崇ています。 |
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龍木免(小字名) |
龍は水神の意で神社の祭事の費用を賄う為の税を免除された水田です。
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小城谷(小字名) 禅院 |
新堀の南側にある谷です。戦国時代の文亀年間に溝口常陸介が、この山中に禅院城を築いていたことから、この城に関係があると考えられる。おそらく「小さいキ(城・柵)」と言うのが語源と考えられる。
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屋敷(小字名) 禅院 |
禅院は現在19戸の小さい区で日高姓が占めている集落です。ここの土地は現在、水田が占めてるが日高一族の屋敷が屋敷と起名されたであろう。
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仁王堂(通称名) |
熊野神社の鳥居と虚空蔵堂と集落の境界守り神である庚申神の石碑が祀られている。建仁寺の入口で昔から呼ばれてきた地名です。地名から推察すると、昔、ここに建仁寺の仁王堂が建っていたことから付けられた地名でしょう。 清水谷から移築された虚空蔵堂の虚空蔵菩薩は、星に乗って舞い降りた智慧と福徳の仏様と伝説がある。大宇宙の如く大きな功徳で、悩める全ての人々を救済する力を備えた菩薩であり、不思議な力により窮地に陥った者を救う菩薩であることから、能満諸願(厄払いその他、諸々の願いを良く満たしてくださる)、身体健全、家内安全、交通安全、商売繁盛、水子供養祈祷、等が特に信仰されてきた。荒尾市の四ツ山神社も同じ神格である。 |
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