庄福BICサイト
四方から橋がかかる池アーヌーブ・タラーオからの貴賓謁見殿(ディワニカス)と左は宝物殿
3日目
ジャイプル
から東に260kmの
アーグラー
に移動。アーグラの中心から南西
37km
にある
ファティプール・シクリー
(勝利の都)は
ムガル帝国
第3代皇帝アクバル
が3kmX1.5kmの城壁で囲んで造った都です。 当時、跡継ぎに恵まれなかった
アクバル帝
でしたが、この地に 住むイスラム教聖者
シェーク・サリーム・チシュティー
が王子の誕生を予言し、翌年その通りに なったため、記念として
5年
をかけて、ここに新たな都を造り、
1571年
に首都を
アーグラー
から 遷都しました。巨万の富と権力が生んだ王宮は、都の中央の丘に壮大な回廊に囲まれている。
ムガル帝国
はイスラーム王朝でありながら、ヒンドゥー世界の木造建築の要素を取り入れ、赤砂岩を使用して建られた王宮です。城は水不足と猛暑のため、わずか
14年間
しか使われず見捨てられ廃墟となった幻の都です。よって王宮は痛みが少なく綺麗に残されています。
1986年
に世界遺産に登録されました。
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一般謁見の間と回廊
一般民衆はここで皇帝に謁見した
屋根に四つのチャトリ(小亭)を持つ貴賓謁見殿
石だが木組を思わせる目をうばう貴賓謁見殿(ディワニ・カース)の中心柱
この柱の上の置かれた王座から王は臣下や貴賓や賢人と謁見した
5層の宮殿バンチマハルはハーレムの女性達を
チェスの駒に見立てたチェスを上から見物した施設
アクバルとその妃の住いジョド・バーイー殿
四方から橋がかかる池アーヌーブ・タラーオ
ミリアムの館(かっては黄金で装飾されていた)
アクバルの妃ジャハーンギールの母の館
廷臣ビルバルの館
モスク地区にあるブランド門(勝利の門)
預言者サリーム・チシュティー廟
(モスク地区金曜モスク広場)
モスク地区にある
ブランド門(勝利の門)
は
アクバル皇帝
が
1573年
に
グジャラート地方
を征服した記念に建てられたジャーマ・マスジット(金曜モスクの入口です。
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午前中のの観光を終えて、
ファティプール・シクリー
に遷都する前の都である、アーグラの市街地の
アーグラー城
を訪れる。
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アーグラ城
は
第3代皇帝アクバル
によって
1565年
に建てられた周囲2.5qに及ぶ広大な城塞です。その後も増築されました。16世紀から300年余に渡ってインドで繁栄を誇ったイスラム勢力の
ムガル帝国
皇帝の城で,帝国の強大な力と栄華を今に伝えています。
第3代皇帝アクバル
によって着工されたアグラ城は,赤砂岩でできた重厚な城壁で囲まれ
「赤い城
」と呼ばれています。赤色は帝国の力強さの象徴でした。対照的に,城内にある多くの建物は純白です。
第5代皇帝シャー・ジャハーン
が自分の好みに合わせて,白大理石を使った華麗な宮殿に仕上げたのです。しかし、愛する妃の墓として
タージ・マハル
を建築した
皇帝シャー・ジャハーン
は晩年,皇帝の座を狙った三男によって城内に幽閉されてしまう。城内の囚われの塔に閉じ込められ、
タージ・マハル
を遠く眺めながら、失意のうちにその生涯を閉じたのである。
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優美な装飾で飾られたデリー門
赤砂岩の城壁の門
ダルシャニ門
第 5代皇帝のシャー・ジャハ−ンが建てた公謁殿 (ディーワーニ・アーム)
三廊式の列柱ホール
寝殿< (ハース・マハル)
アングリー庭園
白大理石宮殿のレリーフ彫刻
テラスからヤムナー川の下流にタージマハルが見える
アグラ城から見えるタージマハル
シャー・ジャハーンが幽閉されて
タージ・マハルを眺めていた塔
鏡や大理石で華美に飾られた室内
赤砂岩の床が綺麗
宮殿中庭
当日(金曜日)は
タージマハルは休みのために、明日の早朝に観光することになりアーグラ市街地のホテルに宿泊。
北インド旅行・タージマハル