庄福BICサイト 蘇州.鎮江観光
 成田空港から上海へ。バスに乗り継ぎ蘇州に夜に到着。
蘇州の朝は早い。薄明るい街並みを町の清掃員の道路や河川の清掃が始る。市場には近郊の農家が自転車で持ち込んだ川魚、野菜、豚など共同マーケットが並ぶ。街角では牛乳や軽食の麦製品を売っていた。旧正月から間もない為か民家には正月飾りが残っている。朝の散策を終えホテルに戻り朝食と出発の準備し玄関に集合。
早朝の賑わい 運河の清掃 街の市場
正月の飾り(舞い降り福) 大通り 通勤バス
宿泊の南林飯店    通勤ラッシュ   寒山寺 
 寒山寺は「妙利普明塔院」の名で517年に完成したが、幾度も焼失し、現存する建物は清代末のもの。唐代貞観年間(627〜649年)高僧寒山が住んだことから寒山寺と呼ばれるようになった。唐代の詩人張継「楓橋夜泊」にこの寺のことが詠まれ、一躍有名になった。虎丘塔はなんと15度位も北へ傾いています。もうもたないという噂は現地では常に言われている。春秋時代蘇州を都とした呉王闔閭の墓である。埋葬して3日後、墓の前に白い虎が現れたという伝説と、丘全体が虎の座った姿のようでもあることから、"虎丘"と呼ばれる。「蘇州刺しゅう」は両面から観賞できる独特の技法で制作され、ガラス板に両面を挟み装飾品として売られている。蘇州は有名な「シルクの府」であり、中国の重要なシルク生産地の一つである。蘇州で最も大きい古典庭園の拙政園は北京の頤和園、承徳の避暑山荘、蘇州の留園と並んで、中国の四大名園と称されている。明の正徳年間(1506〜1521)に築かれた。水景をもって有名。
寒山寺五重塔 寒山寺本殿 甍の西遊記像
境内 鐘楼 虎丘斜塔
試し切石 お堂の仏像
 虎丘斜塔   虎丘斜塔参道   蘇州刺しゅう
両面から観賞できる     観光用ボート   
蘇州拙政園 蘇州拙政園貴賓室 ゴミ箱は瀬戸物
午後からはバスで高速道路を使い2時間半で鎮江に着く。鎮江金山寺の塔は細身で優しい。強い勾配をもつ寺院の屋根と、その上にそびえる優しい塔は鎮江の街並みを一望できる。マルコポーロもこの寺をこよなく愛でたという。日本の雪舟が修行をしたのもこの寺であった。
さらに北固山までバス移動。北固山の一隅に阿倍仲麻呂の歌碑が建てられている。「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」717年に遣唐留学生として19才で唐に渡り36年。ようやく玄宗皇帝の許しを得て帰国の船に乗り込んだのがここ鎮江なのだという。帰国の船出の時、送別の宴で歌った詩であるが実際には船は難破し、阿南(ベトナム)に漂着し帰国の想いを果たせなかつた。すぐ傍には11世紀北宋時代に唐代の石塔から型をとって造られたという鉄の塔がある。
鎮江は唐王朝時代栄えた長江(別名、楊子江)の表玄関であり三国誌の舞台でもある。「赤壁の戦い」は長江を挟んだこの場所での海戦で、曹操(そうそう)の大軍(魏)に対して、兵力では劣る劉備(りゅうび)孫権(そんけん)連合軍(蜀&呉)が勝利して三国時代を迎えます。今日の観光は薄暗くなるまで案内してくれ鎮江の駅前のホテルに着いたときは真っ暗。充実した日でした。

ドライブインで休憩 鎮江の電気店 鎮江の市街
鎮江金山寺 鎮江金山寺 金山寺本堂
閻魔像 塔からの市街地 塔からの金山寺
北固山 北宋時代の鉄塔 北固山の阿倍仲麻呂の歌碑
三国誌の舞台、北固山 北固山より楊子江を望む 夕焼けの鎮江


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