庄福BICサイト  庄福BICサイト                                                                (バルセロナ観光・その1)

    【ローマ遺跡の残るタラゴナを散策】
 地中海沿岸のバレンシアに宿泊( )朝8時にバスに乗込みイベリア半島の東海岸をさらに北上して3時間40分、地中海のバルコニーと呼ばれるタラゴナの海岸に向かう。紀元前3世紀にローマ人によって築かれたタラゴナは当時人口100万人のイベリア半島最大の都市として繁栄していた。市内にはローマ時代の遺跡が残されている( )

タラゴナの街( )

地中海のバルコニーから( )海を見下ろす

地中海に面したローマ円形競技場は2世紀に建築され
猛獣と剣闘士または剣闘士同士の戦いが物できた

      【バルセロナ市内観光】
タラゴナから地中海沿岸を1時間30分北上してバルセロナに到着( )1986年に第25回夏季オリンピック競技大会が行われた都市だ。昼食はオリンピック村があった海岸のレストランでスペイン名物の米料理のパエリアを食べる。新鮮な地中海の魚介類の入った雑ぜ御飯で、やはり日本人にの口に合い美味い!( )
 
バルセロナの海岸バルソレネータ   昼食はスペイン名物パエリア(魚介たっぷりの米料理) オリンピック村があった地域
                 ガウディの建築を訪ねて (その1) 
 今から100年前のバルセロナは繊維産業を中心に経済が発展し( )建築ラッシュの中、ガウディプッチドメネクの作品は豪華で美しくバルセロナで流行したモデルニモスという豪華な芸術的建築様式を今の街並に残している( )グラシア通りに残る三者が設計した各建築物を散策しながら紹介します( )
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 アントニ−・ガウデイ1852年カタルニャ−地方のレウスという街の銅版器具職人の家庭に生まれる。16才の時建築家を目指してバルセロナに移り住み1873年から1877年の間建築を学んだが、生活費を稼ぐためアルバイトの日々、苦学の末1878年に建築士の資格を取得する( )パリ万博のとき革手袋のショ−ケ−スのデザインを後の彼のスポンサ−となる繊維会社を経営する富豪( )エウセビオ・グエルの目に留まったのが彼の人生の転機となりその後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸コロニアグエル教会地下聖堂( )グエル公園などの設計を依頼された。1883年にはサクラダ・ファミリアの設計・建築を任された( )

         【グエル公園】
 海岸からバルセロナの市街が見える丘にあるグエル公園に移動( )グエル公園は元はガウディのパトロンであるグエルの依頼で、ガウディがプロデュースして1900〜1914年に建設された住宅地でした。しかし、作ってはみたものの( )その突き抜けたセンスがあまりにも常識外れだったのか全く売れず、その跡をバルセロナ市が買い取って公園として整備されました( )

     
公園内にあるガウディ邸   ヤシの木をモチーフにしたガウディ流の高架道 正面右階段・上の建物の屋根が展望広場になっている
階段上部のベンチ 階段上がり口 第2水盤の蛇の頭と円形モザイク
第3水盤の公園の象徴・ドラゴンの放水口   階段を降りた管理・待合室の建物 お菓子のような、専門書店兼お土産屋
   
ドラゴンかサンショウウオとされ口から水を吐き出している  展望広場を支える柱は86本ある
   
 天井の4つの円形装飾は太陽の形を表現している 展望広場下・この床下は雨水を溜める貯水槽になって水盤に流れている 
   
展望広場からはバルセロナノ市街が見わたせる
右の4本枝の十字架はキリストのシンボルと同時に方位盤でもある 
曲線した手摺は綺麗なタイルを貼りつけたベンチになっている 
   【 サグラダ・ファミリア聖堂】
 1882年に着工( )1883年に建築家ビリャールから当時無名だったガウディに引継がれた。彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった( )設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみで( )そのため彼の設計図はあまり残らず、替りに模型が多数残り、現在のサグラダ・ファミリア(聖家族教会(せいかぞくきょうかい))の工事は残された模型を尊重しながら進められている( )東側の生誕(せいたん)のファサードにはキリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話(いつわ)が彫刻によって表現されている。生誕の門は日本人の外尾悦郎(そとおえつろう)氏も彫刻を手がけ2000年に完成している。2005年には生誕の門は世界遺産(せかいいさん)に登録されている。西側の受難の門は、イエスの最後の晩餐(ばんさん)からキリストの磔刑、キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている( )私たちの見学2週間前の7日にローマ法王ベネディクト16世が訪れ( )ミサに6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加して行われた。法王が聖堂に聖水(せいすい)を注いで献堂式を行った( )建物はまだ未完成だが、この日のミサにより( )着工から130年近くを経て初めて正式な祈りの場となった( )1926年6月10日に路面電車にひかれて死去したガウディ没後( )100年にあたる2026年まに南正面の「栄光の門」や残る尖塔(せんとう)などの完成を目指しているという。( )
 
生誕のファザードは1904年に完成した

  高さ150メートルの尖塔 「12使徒」を象徴する杖をデザインした
中は空洞で、全て完成すると最上階に鐘が取り付けられる 
高さ100m以上の塔を18本も備えることが予定されている
 


中央最高部の樹木の白鳩
   
祝福をする東方の三博士と天使 祝福をする天使と羊飼い達
   
 生誕の門下部・東口柱のキリスト生誕の像 中央・生誕の門上部受胎告知の像  



 生誕を祝いハーブを奏でる天使像は日本人の外尾悦郎氏の作品



キリスト誕生
 
音楽を奏でキリスト生誕を祝う像(生誕の門は世界遺産)
   
東正面の左の側壁・塔部の色彩フルーツハは外尾悦郎氏の彫刻  東面の右の建物(祭壇側)
 
中央の祭壇 東入口からの内部 正面入口を除きすっかり完成した感じがします!
 
祭壇上の十字架のキリスト像  樹木をイメージした天井
祭壇上部  今まで使用していた地下礼拝堂   ステンドグラスはカタルーニャの芸術家によるもの 
   
 森の樹木をイメージした柱群・この奥が正面入口(外装工事中) 森林のシュロの葉をモチーフにした中央通路の天井 中央通路部の側壁窓
   
   聖堂正面口上部(外が工事の為に使用されていない)
    
イエスの最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている 西の右の側壁尖塔のフルーツは外尾悦郎氏の彫刻 
   
 夕日に染まる西側の受難の門
受難の門の右の側壁 
 5時過ぎに見学が終わる頃には、すっかり日が暮れて聖堂は夕日に染められガウディ流の丸みの曲線の窓明かりが漏れテーマパークの建物に錯覚しまいそう。これからホテルにチエックインして隣にあるという、大型スーパーに買い物にいこうと!明日は3時まで自由行動です。市内にある世界遺産のガウディが建築した建物や音楽堂やカテドラルの礼拝堂を見学、その後、オプションで郊外のモンセラットの修道院を見学します。夜は居酒屋で食事かな?
     バルセロナ観光・ガウディ建築を訪ねて (その2)